■再びサンディエゴへ 昨年6月に引き続いてカリフォルニア州最南端のサンディエゴを訪れた。今回も北のオレゴン州ポートランドの後で暖かい土地へ行く旅程とした。 例によってサンフランシスコ経由となったが、ポートランド空港へすべり込みセーフだったため、通路側の席となり景色を楽しむことはできなかったのが残念。 サンフランシスコ空港では、乗り継ぎ時間もないので、ピザを買って空腹をごまかすことにした。 サンディエゴ空港に到着するとお馴染みの椰子の木が出迎えてくれる。入口では日本人のワーキングホリデイを過ごす若人と出迎えのおばさんと立ち話をして、レンタカーのAVISへと向かう。 事務所まではバスが迎えに来てくれる。1999年にフェニックスで借りたときはフルサイズ、2000年はミディアムサイズ、2001年はコンパクトカーを選ぶことにした。 Pontiacの車でカローラクラスの大きさで手頃だった。 |
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■ホテルまで AVISで車を借りて中古カメラ店のGoodWin Photoへと向かう。例によってハイウエイの出口を間違えて遠回りしてしまったが、見覚えのある通りを見つけたどり着くことができた。 店主のAmyと再会し、あらかじめメールを出しておいたので、愛想良く迎えてくれた。今日はとても忙しいと、梱包の真っ最中だったが。 昨年入った店員はもうやめてしまったそうた。学生のアルバイトだったらしいが、コンピューター関係なので、忙しいらしい。 面白そうなものを少し買い込むことにしたが、昨年よりも在庫が減っているのが淋しい。 雑談ついでにeBayオークションの話をしたら、店で売るよりも高い値で売れることがあるのでとても良いと言っていた。2陪以上の値段になることもあるらしい。Yahoo!オークションは当地ではあまり盛んではないらしい。 今回も昨年と同じホテルにした。日本人が経営しており、日本人スタッフもいるし、なんといっても一泊50ドルと安いのが魅力だ。University Aveという広い通りに面しているので、分かりやすいところにある。空港から行くと、通りの右側になるので、地下にある駐車場にも入りやすい。 近所にはスーパーやハンバーガー店などのファーストフード店も多く、便利なところだと思う。もっとも寝る頃には窓を閉めないと騒音がひどいときがある。 今回最初にあった受付は日本語のできないアジア系の女性だった。日本からメールで申し込んだ予約は来ていないとのことで、予約を受け付けた人も今は退職していないらしい。コンピューターのダウンらしいが、辞める腹いせにデータを削除した可能性もある。 受付ではあれこれ文句を言う泊まり客や、私には間違った部屋番号を教えるなどといったパニック直前の状態だった。先月あたりにオーナーと従業員との間に何かあったのかもしれない。
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■エアショーへ 翌日の朝に地元TVショーを見ていたら、第二次大戦期によるエアショーから中継していた。El Cajonは地図で調べるとサンディエゴからは車で30分くらいで行けそうなところだ。さっそくハイウエイを経由してたどり着いた。 地元の小さな空港だが、駐車場の整理などは海軍の水兵がこなしていた。入場は7ドルの寄付をしてから入る仕組みになっている。 空港の中にはいると、例によってお土産店が建ち並び、絵はがきや防止などのグッズが所狭しと並んでいる。飛行機は滑走路脇に並べられているが、一部を除いてどれも第二次大戦時のものであるが、すごいのはすべて飛行可能なことだ。 Confederate Air Forceという私立団体によるもので、みんな趣味で飛行機のレストアをしているらしい。それにしても維持費もバカにならないので、時々こういうイベントを開いて寄付を募っているらしい。希望者には5ドル程度で飛行機に乗せてくれるが、B-17爆撃機はたくさんの乗れるので、順番待ちの列ができていた。 強烈な日差しの中、家族連れや戦場を経験した老人、会場を取り仕切る海軍の軍人の姿が目立った。今回の出し物は第二次大戦中のエース(撃墜王)5人へのインタビューであった。70数才以上のかくしゃくたる爺様が女性の質問に思い出しながら答えていた。 その中の一人に太平洋で活躍したパイロットがおり、山本五十六連合艦隊司令長官機を襲撃した模様を話していた。当時、上官からは作戦の目的を話されず、それを知ったのは20年以上たってからだという。 それやこれやでお昼になったので、町へ戻ることにした。すでに腕は日に焼けて真っ赤になってしまった。 |
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■市内見物へ 行ってみようかと思ったシーワールドや昨年訪れたメキシコのTijuanaへは日曜日だったことを思い出したので、混んでいるのもいやだったので、市内見物をすることにした。市内の中心部にある広大なBaliboa Parkには動物園があるので行ってみることにした。入場料はたしか20ドルほどだった。 中はとても広い。丘陵地を使っているので、高低差がかなりあり、歩いているだけでもけっこう足にきてしまう。場内往還のガイド付きのバスもあるので、これを利用するのがよいかもしれない。 あれこれ見て、パンダを見ることにしたが、パンダの出演時間は決まっているでもう終わっていた。入口に戻る途中でパンダ舎の前を通ると、奥の方にパンダがいるのが見えた。そばには管理人がつきっきりで、パンダを脅かさないように、大声を出す人や子供に注意を促していた。 それやこれやで夕方なのだが、サマータイム(Daykight Saving Time)なので、まだまだ明るい。17時過ぎにはホテルへ戻り、買い置きのビールなどを楽しむ。 |
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■その他 週末は公園を通りかかると何か催し物をやっていた。よくみると漢字でかいた横断幕で、仏陀の誕生日祝いとのことで華僑らしい人々が芝生の上でピクニックのようなことをしていた。 電話帳で見つけたカメラ店の前を通りがかるが、あいにく閉店していた。 ■帰途 例によってサンフランシスコ経由にて成田行きに乗る。今回は通路側の席だったが、機体の最後尾に近く2人掛けで、窓側にも人が来ない状態だったので、窓側に座ることにした。 サンフランシスコ近郊では海岸沿いの断崖の上に広がる台地の上に住宅が密集していたが、日本に比べればゆったりとしたものだろう。 成田に近づいて外を見ると、見慣れた田園風景が広がっている。ちょうどしろかき期だったので水田に水が張っており、まるで洪水の後のように見えた。何時洪水がおこったのか・・・?これを見たアメリカ人はそう思うかもしれない・・・。 |
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